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【双子は何かと比較される】双子ならではの比べられることの辛さ

双子の育児
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こんにちは。
このこのと申します。
双子男子+男子の3人の息子の母親です。
育児は終えています。

このこの
このこの

兄弟が比較されるのは双子に限ったことではありませんが

 

双子は一層比べられやすく常に比較されながら育ちます。

 

今回はうちの双子が

比較されて辛かっただろう頃の本人たちの様子、親の思い、

 

そしてどうしても比較されてしまうことにどう対応してきたのか

 

今大人になった双子を見て思うこと

をお話したいと思います。

 

 

双子の二人の間での比較は生まれた時から始まる

このこの
このこの

双子の二人の比較は生まれた時から始まります。

どっちの子が大きい
どっちの子がよくミルクを飲む
よく泣く
よく眠る…

仕方ないですよね。
同時に同じ親から生まれて目の前に並んでいるのですから。

少し成長すると
どっちが早く歩きだすのか
しゃべりだすのか

ずっとずっと比較は続きます。

 

このこの
このこの

それでも小さいうちは
比較して、比較されて、気に病んで傷つくのはまだ親だけです。

 

双子が赤ちゃんの頃の体格差や発育と成長については

【双子ふたりの発育と成長の差】差や違いを一つひとつ心配しすぎないで
に書いています。
あわせて読んでみてくださいね。

 

 

 

他愛のない比較が段々とふたりのいろんな能力の違いについての比較へ

 

赤ちゃんの頃のまだ他愛のない比較
どっちがよく食べるとか
よく眠るとか
よく泣くとか…

そういう比較から
成長に従ってどちらがより上手く出来るなどの
嫌な言葉ですが能力の比較になっていきます。

 

幼稚園の運動会でのこと

幼稚園の運動会でクラス対抗の選抜リレーがあり、そのメンバーに双子の一人が選ばれました。

 

 

 

このこの
このこの

まず片方だけというのが心にずしっと来ました。
子ども達も複雑な思いだったと思います。

こんな風にはっきりと差をつけられるのは初めてのことです。

 

しかも話は少し複雑で

うちの双子A児とB児、選ばれたのはB児でした。
でも、生まれた時から活発で何でも先に出来るようになり走るのも速かったのはA児だったんです。

なので周りの驚きは大きくて、正直私も少し驚きました。

ただB児も決して運動が苦手なわけではなかったので、
いつもA児の影に隠れて目立たなかった「速く走れる」ということが認めてもらえて
私は本当に嬉しくてクラスの代表に選ばれたことを誇らしくも思いました。

一方で選ばれなかったA児の事を思うと胸が痛みました。
A児本人も自分の足の速さには自信を持っていたので
幼心に傷ついていたことと思います。

 

 

ふたりは、大喜びすることも、激しく悔しがったりすることもありませんでした。

でも、運動会当日の様子は

 

A児はリレーに出られない分、徒競走での走りにとても力が入っていて
「ボクは速いんだ」と体全体で言っているように見えました。

B児は選ばれた嬉しさ、自負、プレッシャーもあったようで
やはりとても力が入っていて緊張を感じました。

 

 

 

小学生になってから高校生まで

小学生になるとふたりは揃ってサッカーを始めました。

走ることも好きだったので陸上教室に参加したりもしました。

 

このこの
このこの

二人一緒に同じ事をしているので
どうしても少しの差でも
どっちがどうという比較になってしまいます。

 

しかもサッカーは試合に出る出ない
試合で結果を残すかどうか

そういうことで簡単に比較できてしまいます。

 

 

双子で比べられることをどう感じていたのか

双子本人たちの気持ち

 

このこの
このこの

サッカーや陸上といったスポーツ面では
大体A児が評価されることが多かったです。

技術的な差というよりも性格的な違いによるものでした。

 

 

控え目な性格のB児は
競争の世界であるスポーツでは結果を出すのがなかなかに難しく苦しんでいました。
それでも一方で、負けず嫌いな面もあり、静かに悔しさを感じているのは伝わってきました。

B児は自分に足りない技術力と自信をつけようと
コツコツと一人で練習をしたり体を強くする為に努力していました。

 

このこの
このこの

一方学習面では

コツコツと計画的に勉強するB児が学力をあげていきました。

 

そのあたりの話は【双子の性格や学力の違いと差】双子でも違って当たり前、でも悩ましいの中で書いていますので、合わせて読んでもらえると嬉しいです。

ふたりの性格の違いについても書いています。

 

 

 

勉強の面で差がついてしまったA児は、

 

お前はそんなんでいいんか?!」

ずいぶん差つけられてるやん

 

などと、先生や友人からも比べられ

辛い言葉を投げかけられていたようでした。

 

 

こんなん言われたわ~

と言われた事を話してくれるのですが
胸が痛み、嫌な気持ちになっている私に

A児は

 

「アイツはエライんですよ~」

「アイツはスゴいんやわ~」

て言っといた!

とあっけらかんとして言うのです。

 

A児の気にしてないような明るい様子に私は少しホッとはしましたが
A児はB児を褒めることで、比べてくる相手をかわしていたのですね。

口先だけではなく本当に
自分にできない事をしているB児のことを
えらいな、すごいな、と認めていましたが

B児のことを褒めちぎると比べてくる相手もそれ以上は言ってこないようでした。

 

このこの
このこの

A児は、一見平気そうで、見ようによってはヘラヘラして見えますが
そういう風にかわしてしまうのがこの子の術だったのでしょう。

 

 

 

それでもそんな風にいつでも平気そうにしているA児が

大人になったある時、子供の頃のあるサッカーの試合の話をしていた時に
A児かB児かどっちが試合に出ていたのかあやふやな記憶だった私に

 

それだけはBに負けてないから!

 

と強く言い切ったことがありました。
いつもと違う口調に少し驚きましたが

A児はA児で
自分の方が勝っていることには強い自信を持っているのを改めて知りました。

 

このこの
このこの

当然ですよね。

この子だって比べられて平気ではないんだと改めて反省しました。

 

親としての気持ち

親としては、「ふたりを比較しない」

と肝に銘じていたつもりです。

でも同じ勉強をして同じテストを受け
同じチームでサッカーをして

比べたくなくても常に残酷な結果が目の前にあります。

 

 

 

このこの
このこの

ふたりを比べてがっかりし失望するわけでは決してなくて
差ができてしまうことが辛いのです。

一人が評価されたら
もう一人も同じように評価されて欲しいと願ってしまいます。

 

 

何もかも同じ、同等なんて無理なのは分かっています。

それぞれの得手不得手でバランスが取れていることも、今になって思えばよく分かります。

でも何かの結果が出た時
差が見えてしまった時

その時、その時は
親として
いちいち本当に苦しかったのです。

 

 

 

常にまわりから比較される環境の中で

思えばどうしてうちの双子は
一緒に同じ事をし続けていたのだろうと思います。

まわりを見ると
別々の学校へ進んだり別々のスポーツをしている双子ちゃん達はたくさんいて

そういう選択もあったんだと思いました。

その方が周りから比べられることもなく楽だっただろうに
うちのふたりは
小さい頃からいつも一緒でした。

同じ環境にいることが、ふたりにとって好ましくて
一緒に同じ事をやっている楽しさが勝ったのだろうかと思います。

 

差がついてしまうこと
比べられることは辛くしんどい事だったと思います。

そんな時のふたりは対象的で
負けている悔しさをバネにコツコツと努力する子

反対にあっさり負けていることを認めて
比べてくる人に対して
「あいつはスゴイから」
と双子のもう一人を褒めてかわしていた子

 

でも、あっさり負けを認めてしまう方の子も
自分が勝っている事には自信を持っていて
それだけは負けてないという強い気持ちがありました。

 

 

このこの
このこの

今は大人になったふたりを

ずっと見てきて思うのは

お互いのいいところ
優れているところ
自分にはない長所を認め

自分は自分のできることを伸ばしてきたのだということです。

 

 

 

うちの双子のように、ずっと同じ環境に身を置いて一緒に同じ事に取り組む選択肢もあれば

違う学校を選んだり違うことに取り組んで
比較してくる周囲の目から自由になって、それぞれの得意を見つけるという選択もあります。

 

何にせよ親の思いはひとつ
どの子も幸せになってほしい
ということに尽きますね(^-^)

 

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