こんにちは。 双子の男子+男子の3人の息子の母親です。3人の子どもを育てた思い出を記録しておきたい思いと、現在子育てを頑張っているお父さんお母さんのお役に立てるようなお話が少しでも出来ればという思いで、書き綴っています。
安定期
長かったつわりも終わり、妊娠中期に入るといわゆる安定期。
やっとご飯が食べられるようになって、お腹もまだそんなには大きくないので
何とか家事も出来るようになり、元の日常に戻った感じでした。
外出も少しずつできるようになり
買い物に出かけたり
紅葉狩りに行ったりもしました。
双子が生まれたらしばらくはどこへも出かけられないだろうと思いましたし
出産までの思い出に行ってみたい所やしたい事がいろいろありました。
切迫早産
あれもしたいこれもしたい
行きたいところもあるなあ
なんて欲張りなことをいろいろ考えていました。
ところが、6ヶ月半ばの検診で切迫早産で絶対安静を言い渡されてしまいました。
少し出血があった程度でほかに自覚症状はなかったので驚きましたが
再び何も出来ない身になってしまい、コンサートへも行こうとチケットも取ってましたが
それも泣く泣く諦めざるを得なくなりました。
双子なので切迫流産、切迫早産のリスクが高いのは分かっていました。
決して無理なことはせず大事にしていたつもりでした。
それが「切迫早産」と言われショックを受けた上に
お医者さんからはかなり脅され
私は自分が悪いことをしたかのような気持ちになりました。
お腹の赤ちゃんがちゃんと育つのか
どうなってしまうのか
不安で不安で家に帰ってから一人で泣きました。
今思えば、初めてのお産で双子で不安だらけの妊婦に
さらに不安になるようなことを言う医者ってあり得ないです。
当時は言われるまま何でも「はい」「はい」と聞いていましたが
もっと言い方ってあったと思うと腹立たしいです。
幸い入院はせず自宅で安静にということで済んだのですが
お風呂もなるべく入らないほうがいい、ずっと安静に寝てるように
と言われました。
再び何もできずずっと寝ているだけの生活に戻ってしまい辛かったですが
何よりお腹の子たちが心配で不安な日々でした。
妊娠後期へ
2週間の自宅安静ののち、「絶対安静」は解けました。
もちろん大事にして無理はしないという条件つきでした。
ちょうど年末年始の頃だったので帰省したかったのですが
そんな状態でしたので、外出は無理かと思いながら相談してみると
車移動は振動が良くないから電車ならいいと言われました。
電車移動だと乗り継ぎも多く2時間以上かかるので大変だとは思いましたが
その時は電車で帰ることにしました。
8か月近くになるとお腹はすでに臨月並みの大きさで
だんだん動くのも大変になってきました。
早産の不安もあって、何をするにもこわごわな状態でした。
大事に大事にしてその甲斐あって
結局双子たちは臨月までしっかりお腹にいてくれました。
次は妊娠後期から出産までのことを書いていこうと思います。